第二章:侵入
ぴ……ぴ……ぴ……
目覚まし時計のアラーム音が、澪の意識を現実に引き戻す。
午前6時。いつもの時間。いつもの音。
しかし、澪の身体は昨夜の夢の重さを引きずっている。白い廊下の感触が、まだ足裏に残っている。
ぺた……ぺた……ぺた……
素足で冷たいフローリングを歩く音。澪は洗面所へ向かう。鏡に映る自分の顔を見つめる。
目の下のクマが、田中雅彦のそれと同じ色をしている。
しゃ……しゃ……しゃ……
シャワーの水音が浴室に響く。澪は温かい水流に身を委ねながら、昨夜の夢を反芻する。
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ぴ……ぴ……ぴ……
目覚まし時計のアラーム音が、澪の意識を現実に引き戻す。
午前6時。いつもの時間。いつもの音。
しかし、澪の身体は昨夜の夢の重さを引きずっている。白い廊下の感触が、まだ足裏に残っている。
ぺた……ぺた……ぺた……
素足で冷たいフローリングを歩く音。澪は洗面所へ向かう。鏡に映る自分の顔を見つめる。
目の下のクマが、田中雅彦のそれと同じ色をしている。
しゃ……しゃ……しゃ……
シャワーの水音が浴室に響く。澪は温かい水流に身を委ねながら、昨夜の夢を反芻する。
あなたは……あなたは……あなたは……
声が複数同時に響く。
澪の拡散した意識の中で、無数の「あなた」が澪を呼んでいる。
幼い頃の澪、学生時代の澪、カウンセラーになりたての澪、そして——存在したことのない澪たち。
あなたは……あなたは……
それは呼びかけではない。確認だった。
自分という概念の最後の断片を、集合意識の海から救い上げようとする試み。
しかし澪には、もはや個体として応答する能力がない。
わ……わ……わ……
どこかで赤ん坊が泣いている。
り……り……り……
電話のベル音で目覚める。
あなたは手を伸ばし、受話器を取る。
「はい、北川心理相談室です」
あなたの声が、澪の声と重なって聞こえる。
ささ……さら……ささ……さら……
あなたの指先が白い紙の上を這う。ペンの先端が紙面に触れる瞬間の、あの微細な摩擦音。
ささ……さら……
あなたは患者記録に向かい、今日も同じリズムで文字を刻んでいく。心理カウンセリング室は午後の陽光に満たされているが、あなたの内側はひんやりとした静寂に包まれている。
「田中雅彦、32歳、反復性悪夢症候群……」
ささ……さら……
ペン先が紙に触れるたび、あなたの鼓膜に微かな振動が伝わる。HSP——高感受性者——として、あなたはあらゆる音を皮膚で感じてしまう。
しかし、今日は何かが違う。
ぽ……ぽ……ぽ……
液体が滴る音。
澪の意識が浮上するとき、最初に聞こえるのはその音だった。
点滴。病院のベッド。白い天井。
ぽ……ぽ……ぽ……
澪は自分が患者として横たわっていることに気づく。腕に刺された針から、透明な液体が血管に流れ込んでいる。
「お目覚めですね」
声の主を探して首を動かす。白衣を着た医師が立っている。その顔は——
田中雅彦だった。
「私が主治医の田中です」
澪は声を出そうとする。しかし、声帯が麻痺したように機能しない。